「卒業」シーズンです

卒業式シーズンになりましたね。テレビなどのニュースで卒業式が取り上げられると、はるか昔の自分の卒業式を思い出します。良く晴れた空と山に残る雪の白さ、花は足元にオオイヌノフグリが良く見れば咲いていたりするくらいでまだ寒々しい長野県で、「制服」のため、カーディガンやセーター、コートなどの上着の着用を禁じられた卒業式は、その寒さのせいか未来への不安がぴったり寄り添うものでした。皆さんの思い出の「卒業式」はいかがでしたか?

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「人生は常に勉強」は餞の言葉としてよく聞かれます。

「卒業式」では校長先生のようなエライ人から「学校での勉強だけが勉強ではない。人生は常に学びの日々だ。」とか「生涯勉強」みたいな事をお話しいただくかと思います。「学者になる訳じゃないんだからそんなに勉強ばっかりしないよ」と思っていた頃もありましたが、実際、社会に出てみると、仕事の内容から社内外における人との接し方など、「知らなかった、恥ずかしい。」と思うことから「コレ、本当に必要?」と思うことまで、いろんな事を経験しながら学んできました。特に社会人になりたての数年はそんなことだらけでした。でもどちらかというと、その時々の必要に応じて経験値を上げていくだけの受け身的な行動でしたね。

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「どうして勉強しなきゃいけないの?」って聞いたことありますか?

「なんで勉強するの?」の問いに、「みんなが同じ言葉を同じ意味で使えたり、必要なものの数がみんなと同じ方法で解るためだよ」と教えてくれた人がいました。その時は「ふ~ん」と答えて終わりましたが、なんだか釈然としないような「結局勉強ってめんどくさい」というような印象が残りました。
子供の頃、そんな質問をしたことすらも忘れていた昨年、気功の師匠である荒井義雄先生が「【氣の極み】宇宙無限大の生き方」という本を出版された記念に理学博士の佐治晴夫先生とジョイントセミナーを開催された時のこと、佐治先生に「どうして勉強が必要なのか、子ども(高校生)にどう説明したら良いか」という質問がありました。佐治先生は「それについては、実は寅さんが良い答えを出している」として、お話しして下さいました。「話の細かいところまでは覚えていないけれど、勉強をするのは物事の善悪を判断するため、その力を自分で持つため。勉強していないと未知のものにどう判断を付けてよいのか困るでしょう。という話があったんですよ。」とのことでした。
身の回りで起こる出来事には、今まであったことばかりではありません。いつでも誰かが答えを教えてくれる環境がある訳でもありません。社会に出たら個人的にはきっと使わないナントカ関数とかの方程式や古文や漢文、歴史の登場人物の行動や業績なんかも、自分で考えて判断するための頭を作るための事だったんだと思うと、勉強に対しての「損得勘定」みたいなものが消えていきます。

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今がいくつでも学ぶことは人生を充実させてくれる手段の一つのようです。春から新しく習い事など始めてみるのも良いのではないでしょうか?